ここで、小説の狂言回しの役割を担う小町さゆりについて、集中的に考察しておこう。彼女の役割は従来なら、教師や親、先輩、もしそうした存在が身近にいなければ、占い師やカウンセラー、人生相談の先生によって担われていたものである。そうした人たちは、悩みの相談者に対し、明確で断定的な将来の方向付けを行うことが期待されていたし、現在でも期待されている。ところが、小町さゆりは、「こうしなさい」といった断定的な答を相談者に与えない。彼女がするのは、相談者が読むべき本を紹介するというレファレンスであり、本という答は具体的であっても、それを読むかどうか、また読んでそこからどのような結論を導き出すかは、全面的に相談者に委ねられている。しかも、この小説で相談者にとって重要な役割を演じるのは、例えば「囲碁の初歩を知る」という具体的必要に応えて紹介される3冊の本ではなく、それとは直接的にはまったく無関係に紹介される4冊目の本と、その付録として小町がプレゼントする羊毛フェルトのキャラクターの方である。
だから、その本と付録は、直接的には相談者にとってまったく不要であるが、もっと大きな文脈で相談者の悩みに寄り添い、その解決へのヒントを与え、解決に向けて一歩を踏み出すのを助ける。主人公たちはみな、自分の人生を自分で切り拓く大人と考えられており、物語の中でも飽くまでも主体的に動き、周りに働きかけ、周りから反作用を受け、それらに配慮しつつ、新たに関係を組み直し、人生を少しだけ再設計していく。その際に、再び小町を訪れ、小町に指南を受けるようなことはしない。小町は初対面でのインスピレーションを元に、本と付録を相談者にレファレンスするだけで、後は主人公がそこからの気づきやヒントに勇気づけられて、自力で歩み、身の周りの関係性を変えていく。一歩動けば、まるで反作用のように周りも動き、さまざまな変容が生まれる。だから、一歩だけ勇気を出して動くこと、そのトリガーが小町のレファレンスなのである。
この本を読むと、企業社会や学歴社会などと形容される日本社会の中で、声高に「社会を変えろ」、「政治を変えろ』と叫びはしないが、自分の独自な生き方を、市民生活に配慮しながら、主体的かつ対話的に切り拓く新しい「ふつうの市民」像が見えてくる。それは、周りの人々と常にコミュニケーションし、現状を受け入れつつもそれに流されない生活をしようとする市民である。そんな新しい市民には、新しい師というよりは、新しい「助け手」が必要であり、それが、レファレンスを通じて間接的に働きかける司書の小町に結晶している。ここには、社会や国家の期待を担って英雄的な活躍をする人間も、親や上司や世間に一方的に指示されて、それにしぶしぶ従う受け身的な大衆も登場しない。登場するのは21世紀型と言ってもいい「ふつうの市民」であり、そんな彼女や彼に寄り添ってレファレンスする、ちょっとだけ頼りになる小町である。
この小説は、企業社会や世間に埋没しないで、一人一人の生活の具体的問題の個人的解決を通じて、「ふつうの市民」が住みやすい社会を対話的に変えられることを示す。その意味で、今の社会を内破する力を秘めた21世紀型の社会派小説と言える。面白い小説が現れたものだ。(つづく)